オかしあの主人公は、我々の周囲を見廻しても、滅多《めつた》にゐなさうな人間である。「それから」が発表された当時、世間にはやつてゐた自然派の小説には、我々の周囲にも大勢《おほぜい》ゐさうな、その意味では人生に忠実な性格描写《せいかくべうしや》が多かつた筈である。しかし自然派の小説中、「それから」のやうに主人公の模倣者《もはうしや》さへ生んだものは見えぬ。これは独り「それから」には限らず、ウエルテルでもルネでも同じ事である。彼等はいづれも一代を動揺させた性格である。が、如何《いか》に西洋でも、彼等のやうな人間は、滅多《めつた》にゐぬのに相違ない。滅多にゐぬやうな人間が、反《かへ》つて模倣者さへ生んだのは、滅多《めつた》にゐぬからではあるまいか。無論滅多にゐぬと云ふ事は、何処《どこ》にもゐぬと云ふ意味ではない。何処にもゐるとは云へぬかも知れぬ、が、何処かにゐさうだ位の心もちを含んだ言葉である。人々はその主人公が、手近《てぢか》に住んで居らぬ所に、※[#「りっしんべん+淌のつくり」、第3水準1−84−54]※[#「りっしんべん+兄」、第3水準1−84−45]《しやうけい》の意味を見出《みいだ》
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