キのであらう。さうして又その主人公が、何処かに住んでゐさうな所に、※[#「りっしんべん+淌のつくり」、第3水準1−84−54]※[#「りっしんべん+兄」、第3水準1−84−45]《しやうけい》の可能性を見出《みいだ》すのであらう。だから小説が人生に、人間の意欲に働きかける為には、この手近に住んでゐない、しかも何処かに住んでゐさうな性格を創造せねばならぬ。これが通俗に云ふ意味では、理想主義的な小説家が負はねばならぬ大任である。カラマゾフを書いたドストエフスキイは、立派《りつぱ》にこの大任を果してゐる。今後の日本では仰《そもそも》誰が、かう云ふ性格を造り出すであろう。(一月十三日)

     嘲魔《てうま》

 一《ひと》かどの英霊を持つた人々の中には、二つの自己が住む事がある。一つは常に活動的な、情熱のある自己である。他の一つは冷酷《れいこく》な、観察的な自己である。この二つの自己を有する人々は、ややもすると創作力の代りに、唯賢明な批評力を獲得《くわくとく》するだけに止《とど》まり易い。M. de la Rochefoucauld はこれである。が、モリエエルはさうではない。彼はこの二
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