@この頃|内田百間《うちだひやくけん》氏の「冥途《めいど》」(新小説新年号所載)と云ふ小品を読んだ。「冥途」「山東京伝《さんとうきやうでん》」「花火」「件《くだん》」「土手《どて》」「豹」等《とう》、悉《ことごとく》夢を書いたものである。漱石《そうせき》先生の「夢十夜」のやうに、夢に仮託《かたく》した話ではない。見た儘に書いた夢の話である。出来は六篇の小品中、「冥途」が最も見事である。たつた三頁ばかりの小品だが、あの中には西洋じみない、気もちの好《い》い Pathos が流れてゐる。しかし百間氏の小品が面白いのは、さう云ふ中味の為ばかりではない。あの六篇の小品を読むと、文壇離れのした心もちがする。作者が文壇の塵氛《ぢんぷん》の中に、我々同様呼吸してゐたら、到底《たうてい》あんな夢の話は書かなかつたらうと云ふ気がする。書いてもあんな具合《ぐあひ》には出来なからうと云ふ気がする。つまり僕にはあの小品が、現在の文壇の流行なぞに、囚《とら》はれて居らぬ所が面白いのである。これは僕自身の話だが、何かの拍子《ひやうし》に以前出した短篇集を開いて見ると、何処《どこ》か流行に囚《とら》はれてゐる。実を
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