カけと見入つてゐたさうである。さうしてそれを見た弟子《でし》たちは、先生は好《い》い年になつても、まだ貪心《たんしん》が去らないと見える、浅間《あさま》しい事だと評したさうである。しかし夏雄が黄金《わうごん》を愛したのは、千葉勝《ちばかつ》が紙幣《しへい》を愛したやうに、黄金の力を愛したのではあるまい。床を離れるやうになつたら、今度はあの黄金の上に、何を刻《きざ》んで見ようかなぞと、仕事の工夫《くふう》をしてゐたのであらう。師匠に貪心《たんしん》があると思つたのは、思つた弟子《でし》の方が卑《いや》しさうである。香取《かとり》氏はかう病牀《びやうしやう》にある夏雄の心理を解釈した。私《わたし》も恐らくさうだらうと思ふ。所がその後《ご》或男に、この逸話を話して聞かせたら、それはさもあるべき事だと、即座に賛成の意を表した。彼の述べる所によると、彼が遊蕩《いうたう》を止《や》めないのも、実は人生を観ずる為の手段に過ぎぬのださうである。さうしてその機微を知らぬ世俗が、すぐに兎《と》や角《かく》非難をするのは、夏雄の場合と同じださうである。が、実際さうか知らん。(一月六日)
冥途
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