後妻だった叔母は二三度僕に目くばせをした。僕は僕の父と揉《も》み合《あ》った後、わざと仰向《あおむ》けに倒れてしまった。が、もしあの時に負けなかったとすれば、僕の父は必ず僕にも掴《つか》みかからずにはいなかったであろう。
僕は二十八になった時、――まだ教師をしていた時に「チチニウイン」の電報を受けとり、倉皇《そうこう》と鎌倉から東京へ向った。僕の父はインフルエンザの為に東京病院にはいっていた。僕は彼是《かれこれ》三日ばかり、養家の伯母や実家の叔母と病室の隅に寝泊りしていた。そのうちにそろそろ退屈し出した。そこへ僕の懇意にしていた或|愛蘭土《アイルランド》の新聞記者が一人、築地の或待合へ飯を食いに来ないかと云う電話をかけた。僕はその新聞記者が近く渡米するのを口実にし、垂死《すいし》の僕の父を残したまま、築地の或待合へ出かけて行った。
僕等は四五人の芸者と一しょに愉快に日本風の食事をした。食事は確か十時頃に終った。僕はその新聞記者を残したまま、狭い段梯子《だんばしご》を下って行った。すると誰か後ろから「ああさん」と僕に声をかけた。僕は中段に足をとめながら、段梯子の上をふり返った。そこに
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