る。バナナ、アイスクリイム、パイナアップル、ラム酒、――まだその外にもあったかも知れない。僕は当時新宿にあった牧場の外の槲《かし》の葉かげにラム酒を飲んだことを覚えている。ラム酒は非常にアルコオル分の少ない、橙黄色《とうこうしょく》を帯びた飲料だった。
僕の父は幼い僕にこう云う珍らしいものを勧め、養家から僕を取り戻そうとした。僕は一夜大森の魚栄でアイスクリイムを勧められながら、露骨に実家へ逃げて来いと口説かれたことを覚えている。僕の父はこう云う時には頗《すこぶ》る巧言令色を弄《ろう》した。が、生憎《あいにく》その勧誘は一度も効を奏さなかった。それは僕が養家の父母を、――殊に伯母を愛していたからだった。
僕の父は又短気だったから、度々誰とでも喧嘩《けんか》をした。僕は中学の三年生の時に僕の父と相撲《すもう》をとり、僕の得意の大外刈りを使って見事に僕の父を投げ倒した。僕の父は起き上ったと思うと、「もう一番」と言って僕に向って来た。僕は又造作もなく投げ倒した。僕の父は三度目には「もう一番」と言いながら、血相を変えて飛びかかって来た。この相撲を見ていた僕の叔母――僕の母の妹であり、僕の父の
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