。
それが、どのくらいつづいたかわからない。が、暫くすると、切り燈台の火が、いつの間にか、少しずつ暗くなり出したのに気がついた。焔《ほのお》の先が青くなって、光がだんだん薄れて来る。と思うと、丁字《ちょうじ》のまわりが煤《すす》のたまったように黒み出して、追々に火の形が糸ほどに細ってしまう。阿闍梨は、気にして二三度燈心をかき立てた。けれども、暗くなる事は、依然として変りがない。
そればかりか、ふと気がつくと、灯《あかり》の暗くなるのに従って、切り燈台の向うの空気が一所《ひとところ》だけ濃くなって、それが次第に、影のような人の形になって来る。阿闍梨は、思わず読経《どきょう》の声を断った。――
「誰じゃ。」
すると、声に応じて、その影からぼやけた返事が伝って来た。
「おゆるされ。これは、五条西の洞院《とういん》のほとりに住む翁《おきな》でござる。」
阿闍梨《あざり》は、身を稍後《ややあと》へすべらせながら眸《ひとみ》を凝《こ》らして、じっとその翁を見た。翁は経机《きょうづくえ》の向うに白の水干《すいかん》の袖を掻き合せて、仔細《しさい》らしく坐っている。朦朧《もうろう》とはしながら
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