井《くらい》村にいることを発見した。もっとも今度は昔のように両刀を手挟《たばさ》んでいたのではない。いつか髪《かみ》を落した後《のち》、倉井村の地蔵堂《じぞうどう》の堂守《どうもり》になっていたのである。伝吉は「冥助《みょうじょ》のかたじけなさ」を感じた。倉井村と云えば長窪から五里に足りない山村《さんそん》である。その上|笹山《ささやま》村に隣《とな》り合っているから、小径《こみち》も知らないのは一つもない。(地図参照)伝吉は現在平四郎の浄観《じょうかん》と云っているのも確かめた上、安政六年九月|七日《なのか》、菅笠《すげがさ》をかぶり、旅合羽《たびがっぱ》を着、相州無銘《そうしゅうむめい》の長脇差《ながわきざし》をさし、たった一人仇打ちの途《と》に上《のぼ》った。父の伝三の打たれた年からやっと二十三年目に本懐《ほんかい》を遂げようとするのである。
伝吉の倉井村へはいったのは戌《いぬ》の刻《こく》を少し過ぎた頃だった。これは邪魔《じゃま》のはいらないためにわざと夜を選んだからである。伝吉は夜寒《よさむ》の田舎道《いなかみち》を山のかげにある地蔵堂へ行った。窓障子《まどしょうじ》の破れ
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