の利《き》いた旅籠屋《はたごや》である。(註四)伝吉は下男部屋に起臥《きが》しながら仇打《あだう》ちの工夫《くふう》を凝《こ》らしつづけた。この仇打の工夫についても、諸説のいずれが正しいかはしばらく疑問に附するほかはない。
(一)「旅硯」、「農家義人伝」等によれば、伝吉は仇の誰であるかを知っていたことになっている。しかし「伝吉物語」によれば、服部平四郎《はっとりへいしろう》の名を知るまでに「三|星霜《せいそう》を閲《けみ》し」たらしい。なおまた皆川蜩庵《みながわちょうあん》の書いた「木《こ》の葉《は》」の中の「伝吉がこと」も「数年を経たり」と断《ことわ》っている。
(二)「農家義人伝」、「本朝《ほんちょう》姑妄聴《こもうちょう》」(著者不明)等によれば、伝吉の剣法《けんぽう》を学んだ師匠は平井左門《ひらいさもん》と云う浪人《ろうにん》である。左門は長窪の子供たちに読書や習字を教えながら、請うものには北辰夢想流《ほくしんむそうりゅう》の剣法も教えていたらしい。けれども「伝吉物語」「旅硯」「木の葉」等によれば、伝吉は剣法を自得《じとく》したのである。「あるいは立ち木を讐《かたき》と呼び、あ
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