−87−71]陀多《かんだた》は、早速その蜘蛛の糸を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。元より大泥坊の事でございますから、こう云う事には昔から、慣れ切っているのでございます。
 しかし地獄と極楽との間は、何万里となくございますから、いくら焦《あせ》って見た所で、容易に上へは出られません。ややしばらくのぼる中《うち》に、とうとう※[#「牛へん+建」、第3水準1−87−71]陀多もくたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、糸の中途にぶら下りながら、遥かに目の下を見下しました。
 すると、一生懸命にのぼった甲斐があって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもう暗の底にいつの間にかかくれて居ります。それからあのぼんやり光っている恐しい針の山も、足の下になってしまいました。この分でのぼって行けば、地獄からぬけ出すのも、存外わけがないかも知れません。※[#「牛へん+建」、第3水準1−87−71]陀多は両手を蜘蛛の糸にからみながら、ここへ来てから何年にも出した事のない声で、「しめた。しめた。」と笑いました。ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限《かずかぎり》もない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻《あり》の行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。※[#「牛へん+建」、第3水準1−87−71]陀多はこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、しばらくはただ、莫迦《ばか》のように大きな口を開《あ》いたまま、眼ばかり動かして居りました。自分一人でさえ断《き》れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数《にんず》の重みに堪える事が出来ましょう。もし万一途中で断《き》れたと致しましたら、折角ここへまでのぼって来たこの肝腎《かんじん》な自分までも、元の地獄へ逆落《さかおと》しに落ちてしまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。が、そう云う中にも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、うようよと這《は》い上って、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。
 そこで※[#「
前へ 次へ
全5ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング