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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)蓮池《はすいけ》のふち

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)丁度|地獄《じごく》の底に

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「牛へん+建」、第3水準1−87−71]
−−

        一

 ある日の事でございます。御釈迦様《おしやかさま》は極楽の蓮池《はすいけ》のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮《はす》の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色《きんいろ》の蕊《ずい》からは、何とも云えない好《よ》い匂《におい》が、絶間《たえま》なくあたりへ溢《あふ》れて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。
 やがて御釈迦様はその池のふちに御佇《おたたず》みになって、水の面《おもて》を蔽《おお》っている蓮の葉の間から、ふと下の容子《ようす》を御覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度|地獄《じごく》の底に当って居りますから、水晶《すいしよう》のような水を透き徹して、三途《さんず》の河や針の山の景色が、丁度|覗《のぞ》き眼鏡《めがね》を見るように、はっきりと見えるのでございます。
 するとその地獄の底に、※[#「牛へん+建」、第3水準1−87−71]陀多《かんだた》と云う男が一人、ほかの罪人と一しょに蠢《うごめ》いている姿が、御眼に止まりました。この※[#「牛へん+建」、第3水準1−87−71]陀多と云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛《くも》が一匹、路ばたを這《は》って行くのが見えました。そこで※[#「牛へん+建」、第3水準1−87−71]陀多は早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗《むやみ》にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。
 御釈迦様は地獄の容子を御覧になりながら、この※[#「牛へん+建」、第3水準1−
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