僕の小学校にいた時代はちょうど常陸山《ひたちやま》や梅ヶ谷の全盛を極《きわ》めた時代だった。僕は荒岩亀之助が常陸山を破ったため、大評判になったのを覚えている。いったいひとり荒岩に限らず、国見山でも逆鉾《さかほこ》でもどこか錦絵《にしきえ》の相撲に近い、男ぶりの人に優《すぐ》れた相撲はことごとく僕の贔屓《ひいき》だった。しかし相撲というものは何か僕にはばくぜんとした反感に近いものを与えやすかった。それは僕が人並みよりも体《からだ》が弱かったためかもしれない。また平生見かける相撲が――髪を藁束《わらたば》ねにした褌《ふんどし》かつぎが相撲膏《すもうこう》を貼《は》っていたためかもしれない。
一九 宇治紫山
僕の一家は宇治紫山《うじしざん》という人に一中節《いっちゅうぶし》を習っていた。この人は酒だの遊芸だのにお蔵前の札差しの身上《しんしょう》をすっかり費やしてしまったらしい。僕はこの「お師匠さん」の酒の上の悪かったのを覚えている。また小さい借家にいても、二、三坪の庭に植木屋を入れ、冬などは実を持った青木の下に枯れ松葉を敷かせたのを覚えている。
この「お師匠さん」は長命だっ
前へ
次へ
全27ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング