うつつ》の境に現われてくる幽霊の中の一人だった。

     一七 幼稚園

 僕は幼稚園へ通いだした。幼稚園は名高い回向院《えこういん》の隣の江東小学校の附属である。この幼稚園の庭の隅《すみ》には大きい銀杏《いちょう》が一本あった。僕はいつもその落葉を拾い、本の中に挾《はさ》んだのを覚えている。それからまたある円顔《まるがお》の女生徒が好きになったのも覚えている。ただいかにも不思議なのは今になって考えてみると、なぜ彼女を好きになったか、僕自身にもはっきりしない。しかしその人の顔や名前はいまだに記憶に残っている。僕はつい去年の秋、幼稚園時代の友だちに遇《あ》い、そのころのことを話し合った末、「先方でも覚えているかしら」と言った。
「そりゃ覚えていないだろう」
 僕はこの言葉を聞いた時、かすかに寂しい心もちがした。その人は少女に似合わない、萩《はぎ》や芒《すすき》に露の玉を散らした、袖《そで》の長い着物を着ていたものである。

     一八 相撲

 相撲《すもう》もまた土地がらだけに大勢近所に住まっていた。現に僕の家《うち》の裏の向こうは年寄りの峯岸《みねぎし》の家だったものである。
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