ロマンティック趣味に富んでいたのであろう。僕の母の話によれば、法界節《ほうかいぶし》が二、三人|編《あ》み笠《がさ》をかぶって通るのを見ても「敵討《かたきう》ちでしょうか?」と尋ねたそうである。
一一 郵便箱
僕の家《うち》の門の側《そば》には郵便箱が一つとりつけてあった。母や伯母《おば》は日の暮れになると、かわるがわる門の側へ行き、この小さい郵便箱の口から往来の人通りを眺《なが》めたものである。封建時代らしい女の気もちは明治三十二、三年ころにもまだかすかに残っていたであろう。僕はまたこういう時に「さあ、もう雀色時《すずめいろどき》になったから」と母の言ったのを覚えている。雀色時という言葉はそのころの僕にも好きな言葉だった。
一二 灸
僕は何かいたずらをすると、必ず伯母《おば》につかまっては足の小指に灸《きゅう》をすえられた。僕に最も怖《おそ》ろしかったのは灸の熱さそれ自身よりも灸をすえられるということである。僕は手足をばたばたさせながら「かちかち山だよう。ぼうぼう山だよう」と怒鳴ったりした。これはもちろん火がつくところから自然と連想《れんそう》を生じた
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