僕の留守《るす》の間に「動員令発せらる」という号外が家《うち》にも来ていたからだった。僕はもちろん日露戦役に関するいろいろの小事件を記憶している。が、この一対の高張り提灯ほど鮮《あざや》かに覚えているものはない。いや、僕は今日でも高張り提灯を見るたびに婚礼や何かを想像するよりもまず戦争を思い出すのである。
三五 久井田卯之助
久井田《ひさいだ》という文字は違っているかもしれない。僕はただ彼のことをヒサイダさんと称していた。彼は僕の実家にいる牛乳配達の一人だった。同時にまた今日ほどたくさんいない社会主義者の一人だった。僕はこのヒサイダさんに社会主義の信条を教えてもらった。それは僕の血肉には幸か不幸か滲《し》み入らなかった。が、日露戦争中の非戦論者に悪意を持たなかったのは確かにヒサイダさんの影響だった。
ヒサイダさんは五、六年前に突然僕を訪問した。僕が彼と大人《おとな》同士の社会主義論をしたのはこの時だけである。(彼はそれから何か月もたたずに天城山《あまぎさん》の雪中に凍死してしまった)しかし僕は社会主義論よりも彼の獄中生活などに興味を持たずにはいられなかった。
「夏目さ
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