載せてあった。墓はあの通り白い大理石で、「吾人は須《すべから》く現代を超越せざるべからず」が、「高山林次郎《たかやまりんじろう》」という名といっしょに、あざやかな鑿《のみ》の痕《あと》を残している。自分はそのなめらかな石の面《おもて》に、ちらばっている菫《すみれ》の花束をいかにも樗牛にふさわしいたむけの花のようにながめて来た。その後、樗牛の墓というと、必ず自分の記憶には、この雨にぬれている菫の紫が四角な大理石といっしょに髣髴《ほうふつ》されたものである。これはさらに自分の思い出したくないことであるが、おそらくその時の自分は、いかにも偉大な思想家の墓前を訪《と》うらしい、思わせぶりな感傷に充《み》ち満ちていたことだろうと思う。ことによるとそのあとで、「竜華寺《りゅうげじ》に詣《もう》ずるの記」くらいは、惻々《そくそく》たる哀怨《あいえん》の辞をつらねて、書いたことがあるかもしれない。
ところがこのごろになって、あの近所を通ったついでに、ふと樗牛のことを思い出して、また竜華寺へ出かけて行った。その日は夏の晴天で、脂臭《やにくさ》い蘇鉄《そてつ》のにおいが寺の庭に充満しているころだったが、
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