柄《つか》を上にほとんど鍔《つば》も見えないほど、深く突き立っていたのであった。
 彼は両手に柄を掴《つか》んで、渾身《こんしん》の力をこめながら、一気にその剣《つるぎ》を引き抜いた。剣は今し方|磨《と》いだように鍔元《つばもと》から切先《きっさき》まで冷やかな光を放っていた。「神々はおれを守って居て下さる。」――そう思うと彼の心には、新しい勇気が湧くような気がした。彼は枯木の下に跪《ひざまず》いて天上の神々に祈りを捧げた。
 その後《のち》彼はまた樅《もみ》の木陰《こかげ》へ帰って、しっかり剣を抱《いだ》きながら、もう一度深い眠に落ちた。そうして三日三晩の間、死んだように眠り続けた。
 眠から覚めた素戔嗚は再び体を清むべく、湖の汀《なぎさ》へ下りて行った。風の凪《な》ぎ尽した湖は、小波《さざなみ》さえ砂を揺《ゆ》すらなかった。その水が彼の足もとへ、汀に立った彼の顔を、鏡のごとく鮮かに映して見せた。それは高天原《たかまがはら》の国にいた時の通り、心も体も逞《たくま》しい、醜《みにく》い神のような顔であった。が、彼の眼の下には、今までにない一筋の皺《しわ》が、いつの間にか一年間の悲しみの
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