「あれは火雷命《ほのいかずちのみこと》だ。」と、囁いてくれるものがあった。 大男は静に手を挙げて、彼に何か相図《あいず》をした。それが彼には何となく、その高麗剣《こまつるぎ》を抜けと云う相図のように感じられた。そうして急に夢が覚めた。
 彼は茫然と身を起した。微風に動いている樅《もみ》の梢《こずえ》には、すでに星が撒《ま》かれていた。周囲にも薄白い湖のほかは、熊笹の戦《そよ》ぎや苔《こけ》の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《におい》が、かすかに動いている夕闇があった。彼は今見た夢を思い出しながら、そう云うあたりへ何気《なにげ》なく、懶《ものう》い視線《しせん》を漂《ただよ》わせた。
 と、十歩と離れていない所に、夢の中のそれと変りのない、一本の枯木のあるのが見えた。彼は考える暇《いとま》もなく、その枯木の側へ足を運んだ。
 枯木はさっきの落雷に、裂《さ》かれたものに違いなかった。だから根元には何かの針葉《しんよう》が、枝ごと一面に散らばっていた。彼はその針葉を踏むと同時に、夢が夢でなかった事を知った。――枯木の根本には一振《ひとふり》の高麗剣《こまつるぎ》が竜の飾のある
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