、寛大に過ぎた処置であった。彼等はまず彼の鬚《ひげ》を、一本残らずむしり取った。それから彼の手足の爪を、まるで貝でも剥《は》がすように、未練未釈《みれんみしゃく》なく抜いてしまった。その上彼の縄を解くと、ほとんど手足も利《き》かない彼へ、手ん手に石を投げつけたり、慓悍《ひょうかん》な狩犬をけしかけたりした。彼は血にまみれながら、ほとんど高這《たかば》いをしないばかりに、蹌踉《そうろう》と部落を逃れて行った。
 彼が高天原《たかまがはら》の国をめぐる山々の峰を越えたのは、ちょうどその後《ご》二日経った、空模様の怪しい午後であった。彼は山の頂きへ来た時、嶮《けわ》しい岩むらの上へ登って、住み慣れた部落の横わっている、盆地の方を眺めて見た。が、彼の眼の下には、ただうす白い霧の海が、それらしい平地をぼんやりと、透《す》かして見せるばかりであった。彼はしかし岩の上に、朝焼《あさやけ》の空を負いながら、長い間じっと坐っていた。すると谷間から吹き上げる風が、昔の通り彼の耳へ、聞き慣れた囁《ささや》きを送って来た。「素戔嗚よ。お前は何をさがしているのだ。おれと一しょに来い。おれと一しょに来い。素戔嗚よ
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