。……」
彼はようやく立ち上った。そうしてまだ知らない国の方へ、おもむろに山を下《くだ》り出した。
その内に朝焼の火照《ほて》りが消えると、ぽつぽつ雨が落ちはじめた。彼は一枚の衣《ころも》のほかに、何もまとってはいなかった。頸珠《くびだま》や剣《つるぎ》は云うまでもなく、生捉《いけど》りになった時に奪われていた。雨はこの追放人《ついほうにん》の上に、おいおい烈しくなり始めた。風も横なぐりに落して来ては、時々ずぶ濡れになった衣の裾を裸《はだか》の脚へたたきつけた。彼は歯を食いしばりながら、足もとばかり見つめて歩いた。
実際眼に見えるものは、足もとに重なる岩だけであった。そのほかは一面に暗い霧が、山や谷を封じていた。霧の中では風雨の音か、それとも谷川の水の音か、凄《すさま》じくざっと遠近《おちこち》に煮えくり返る音があった。が、彼の心の中には、それよりもさらに凄じく、寂しい怒が荒れ狂っていた。
二十四
やがて足もとの岩は、湿った苔《こけ》になった。苔はまた間もなく、深い羊歯《しだ》の茂みになった。それから丈《たけ》の高い熊笹《くまざさ》に、――いつの間にか素戔嗚
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