らせた。彼は相手の蒼ざめた顔に熱い息を吹きかけながら、もう一度|唸《うな》るような声を出した。
「嘘をつけ。」
「離さないか。貴様こそ、――ああ、喉が絞《し》まる。――あれほど離すと云った癖に、貴様こそ嘘をつく奴だ。」
「証拠があるか、証拠が。」
すると若者はまだ必死に、もがきながら、
「あいつに聞いて見るが好い。」と、吐き出すような、一言《ひとこと》を洩らした。「あいつ」があの牛飼いの若者であると云う事は、怒り狂った素戔嗚にさえ、問うまでもなく明かであった。
「よし。じゃ、あいつに聞いて見よう。」
素戔嗚は言下《ごんか》に意を決すると、いきなり相手を引っ立てながら、あの牛飼いの若者がたった一人住んでいる、そこを余り離れていない小家《こいえ》の方へ歩き出した。その途中も時々相手は、襟にかかった素戔嗚の手を一生懸命に振り離そうとした。しかし彼の手は相不変《あいかわらず》、鉄のようにしっかり相手を捉《とら》えて、打っても、叩いても離れなかった。
空には依然として、春の月があった。往来にも藪木《やぶき》の花の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《におい》が、やはりうす甘く立ち
前へ
次へ
全106ページ中56ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング