この娘に遇《あ》ったのは、やはりあの山腹の柏《かしわ》の梢《こずえ》に、たった一人上っていた時であった。彼はその日も茫然と、目の下に白くうねっている天《あめ》の安河《やすかわ》を眺めていると、意外にも柏の枝の下から晴れ晴れした女の笑い声が起った。その声はまるで氷の上へばらばらと礫《こいし》を投げたように、彼の寂しい真昼の夢を突嗟《とっさ》の間《あいだ》に打ち砕いてしまった。彼は眠を破られた人の腹立たしさを感じながら、柏の下に草を敷いた林間の空き地へ眼を落した。するとそこには三人の女が、麗《うら》らかな日の光を浴びて、木の上の彼には気がつかないのか、頻《しきり》に何か笑い興じていた。
彼等は皆竹籠を臂《ひじ》にかけている所を見ると、花か木の芽か山独活《やまうど》を摘みに来た娘らしかった。素戔嗚はその女たちを一人も見知って居なかった。が、彼等があの部落の中でも、卑《いや》しいものの娘でない事は、彼等の肩に懸《かか》っている、美しい領巾《ひれ》を見ても明かであった。彼等はその領巾を微風に飜《ひるがえ》しながら、若草の上に飛び悩んでいる一羽の山鳩《やまばと》を追いまわしていた。鳩は女たちの手
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