た。彼は太い柏の枝へ馬乗りに跨《また》がりながら、長い間その部落の空を渡って来る風に吹かれていた。風は柏の小枝を揺《ゆす》って、折々枝頭の若芽の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《におい》を日の光の中に煽り立てた。が、彼にはその風が、彼の耳元を流れる度に、こう云う言葉を細々と囁《ささや》いて行くように思われた。
「素戔嗚《すさのお》よ。お前は何を探しているのだ。お前の探しているものは、この山の上にもなければ、あの部落の中にもないではないか。おれと一しょに来い。おれと一しょに来い。お前は何をためらっているのだ。素戔嗚よ。……」
七
しかし素戔嗚《すさのお》は風と一しょに、さまよって歩こうとは思わなかった。では何が孤独な彼を高天原《たかまがはら》の国に繋《つな》いでいたか。――彼は自《みずか》らそう尋《たず》ねると、必ず恥かしさに顔が赤くなった。それはこの容貌の醜い若者にも、私《ひそ》かに彼が愛している部落の娘がいたからであった。そうしてその娘に彼のような野人が恋をすると云う事は、彼自身にも何となく不似合《ふにあい》の感じがしたからであった。
彼が始めて
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