を向けさせることになるらしかった。と同時に彼の敵には、それだけ彼に反感を加えさせる事にもなるらしかった。
彼はなるべく人を避けた。そうして多くはたった一人、その部落を繞《めぐ》る山間の自然の中《うち》に時を過ごした。自然は彼に優しかった。森は木の芽を煙らせながら、孤独に苦しんでいる彼の耳へも、人懐しい山鳩《やまばと》の声を送って来る事を忘れなかった。沢も芽ぐんだ蘆《あし》と共に、彼の寂寥《せきりょう》を慰むべく、仄《ほの》かに暖い春の雲を物静な水に映していた。藪木《やぶき》の交《まじ》る針金雀花《はりえにしだ》、熊笹の中から飛び立つ雉子《きぎす》、それから深い谷川の水光りを乱す鮎《あゆ》の群、――彼はほとんど至る所に、仲間の若者たちの間には感じられない、安息と平和とを見出した。そこには愛憎《あいぞう》の差別はなかった、すべて平等に日の光と微風との幸福に浴していた。しかし――しかし彼は人間であった。
時々彼が谷川の石の上に、水を掠《かす》めて去来する岩燕《いわつばめ》を眺めていると、あるいは山峡《やまかい》の辛夷《こぶし》の下に、蜜《みつ》に酔《よ》って飛びも出来ない虻《あぶ》の羽音
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