も半面を埋《うず》めた鬚《ひげ》を除いて、見る見る色を失い出した。そうしてその青ざめた額から、足もとの眩《まばゆ》い砂の上へ頻《しきり》に汗の玉が落ち始めた。――と思う間もなく今度は肩の岩が、ちょうどさっきとは反対に一寸ずつ、一分《いちぶ》ずつ、じりじり彼を圧して行った。彼はそれでも死力を尽して、両手に岩を支えながら、最後まで悪闘を続けようとしたが、岩は依然として運命のごとく下って来た。彼の体は曲り出した。彼の頭も垂れるようになった。今の彼はどこから見ても、石塊《いしくれ》の下にもがいている蟹《かに》とさらに変りはなかった。
 周囲に集まった若者たちは、余りの事に気を奪われて、茫然とこの悲劇を見守っていた。また実際彼等の手では、到底千曳の大岩の下から彼を救い出す事はむずかしかった。いや、あの容貌の醜い若者でさえ、今となっては相手の背《せな》からさっき擡《もた》げた大盤石《だいばんじゃく》を取りのける事が出来るかどうか、疑わしいのは勿論であった。だから彼もしばらくの間は、恐怖と驚愕《きょうがく》とを代る代る醜い顔に表しながら、ただ、漫然と自失した眼《まなこ》を相手に注ぐよりほかはなかった
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