千曳《ちびき》の大岩を担《かつ》いだ彼は、二足《ふたあし》三足《みあし》蹌踉《そうろう》と流れの汀《なぎさ》から歩みを運ぶと、必死と食いしばった歯の間から、ほとんど呻吟する様な声で、「好《い》いか渡すぞ。」と相手を呼んだ。
猪首《いくび》の若者は逡巡《しゅんじゅん》した。少くとも一瞬間は、凄壮そのもののような彼の姿に一種の威圧を感じたらしかった。が、これもすぐにまた絶望的な勇気を振い起して、
「よし。」と噛《か》みつくように答えたと思うと、奮然と大手を拡げながら、やにわにあの大岩を抱《だ》き取ろうとした。
岩はほどなく彼の肩から、猪首の若者の肩へ移り出した。それはあたかも雲の堰が押し移るがごとく緩漫《かんまん》であった。と同時にまた雲の峰が堰《せ》き止め難いごとく刻薄であった。猪首の若者はまっ赤になって、狼《おおかみ》のように牙《きば》を噛みながら、次第にのしかかって来る千曳《ちびき》の岩を逞しい肩に支えようとした。しかし岩が相手の肩から全く彼の肩へ移った時、彼の体は刹那《せつな》の間《あいだ》、大風《おおかぜ》の中の旗竿のごとく揺れ動いたように思われた。するとたちまち彼の顔
前へ
次へ
全106ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング