とんど声援を与うべき余裕さえ奪った観《かん》があった。彼等は皆息を呑んで千曳《ちびき》の大岩を抱えながら、砂に片膝ついた彼の姿を眼も離さずに眺めていた。彼はしばらくの間動かなかった。しかし彼が懸命の力を尽している事だけは、その手足から滴《したた》り落ちる汗の絶えないのにも明かであった。それがやや久しく続いた後《のち》、声をひそめていた若者たちは、誰からともなくまたどよみを挙げた。ただそのどよみは前のような、勢いの好《よ》い声援の叫びではなく、思わず彼等の口を洩《も》れた驚歎の呻《うめ》きにほかならなかった。何故《なぜ》と云えばこの時彼は、大岩の下に肩を入れて、今までついていた片膝を少しずつ擡《もた》げ出したからであった。岩は彼が身を起すと共に、一寸ずつ、一分《いちぶ》ずつ、じりじり砂を離れて行った。そうして再び彼等の間から一種のどよみが起った時には、彼はすでに突兀《とつこつ》たる巌石を肩に支えながら、みずらの髪を額《ひたい》に乱して、あたかも大地《だいち》を裂《さ》いて出た土雷《つちいかずち》の神のごとく、河原に横《よこた》わる乱石の中に雄々しくも立ち上っていた。

        五
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