れは同じである。いや、この前はこちらの岸に小便をしてゐる土工があつた。けふはそんなものを見かけぬだけ、一層《いつそう》平和に見えた位である。
僕はかう云ふ景色を見ながら、やはり歩みをつづけてゐた。すると突然濠の上から、思ひもよらぬ歌の声が起つた。歌は「懐《なつか》しのケンタツキイ」である。歌つてゐるのは水の上に頭ばかり出した少年である。僕は妙な興奮を感じた。僕の中にもその少年に声を合せたい心もちを感じた。少年は無心に歌つてゐるのであらう。けれども歌は一瞬の間《あひだ》にいつか僕を捉《とら》へてゐた否定の精神を打ち破つたのである。
芸術は生活の過剰《くわじよう》ださうである。成程《なるほど》さうも思はれぬことはない。しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。更に又|巧《たく》みにその過剰を大いなる花束《はなたば》に仕上げねばならぬ。生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にすることである。
僕は丸《まる》の内《うち》の焼け跡を通つた。けれども僕の目に触れたのは猛火も亦《また》焼き難い何ものかだつた。
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