を留めざるは、恐らくは此の辺の観察もあるに依るなるべし。されど作左はまた斯くの如く冷酷に看過する能はずして、以為《おも》へらく『いや/\仙千代丸都におきて、人の疑うけん[#「人の疑うけん」に傍点]事も詮なし。ただひとりある子、うしなはんも不便なり』と。直に母の大病に言《こと》よせて、永訣《えいけつ》のためにとて呼び還しぬ。蓋《けだ》し作左我が子の愛情もさることながら、おのが多年育て上げし公子が身危しと聴きては、其の痛傷の感いかで仙千代を念ふにも劣るべき。既に秀吉に与へし上は、今更これを取返さんやうも無けれど、其の儘都に置きては、不安の想ひに得堪へで、仙千代が身に先だちて、必ず家康に公子が事を訴へしなるべく、座上無道の秀吉を罵りし憤慨の豪気も察せられたり。家康も於義丸は兎も角、仙千代招還せんことは作左が老情を酌みて、喜びて許ししなるべく、母が大病とは円滑に聞こえて、否み難き好辞柄《かうじへい》なりけり。猛き作左も子さへ還らばと、斯くは穏便に言ひ做ししなるべし。腹黒き主人の注意もありなん乎。且つ夫《そ》れ仙千代と共に随ひ行きし勝千代が父は、彼の秀吉が覚よき石川伯耆守にして、徳川の家中には、
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