《せんきん》の力をもて勇断せしなるべし。而して僅に十一歳の幼者をば、識らぬ人に託して遣るに忍びで、遂におのが一人の愛児をもさし出だして、其の行を共にせしむるに至りき、奉公の衷心、亦何ぞ美なるや。離別の際、作左が武骨の哀情[#「武骨の哀情」に傍点]眼前に髣髴たり。是より作左が心は常に上方に馳せて、二人の身の上に到ると共に、秀吉が振舞を注目することも一層厳刻となりしなるべし。(中略)
「さる程に(中略)徳川の家中にては、弥増す敵意と猜念[#「弥増す敵意と猜念」に傍点]とをもて、上方の空を眺めつつ、変心測られぬ秀吉、いつ攻め来んも知り難しと、衆情枕をさへ安んぜざりし折柄、とりどりの流言伝はり、中にも秀吉於義丸等を殺すべしとの風聞は、痛く一家の人心をぞ刺しにける。(中略)家康は流石に忍刻の人、冷然として言へらく、『秀康今は我子にあらで、秀吉が子なり。之を殺すは秀吉の不義なり。殺さば殺せ』と。想ふに秀吉往々威喝を用ゐて人を屈するを慣術とすれども、亦敢て籠裡《ろうり》の小禽をば無益に殺生せん暴人にはあらじ。家康の智いかで之れを識らざることのあるべき。其の自若として無慙《むざん》の蜚説《ひせつ》に意
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