兼ねてより、窃《ひそか》に其の二心を疑へる者さへありければ、作左は素より忠侃《ちうかん》一辺の男なれど、当時雑説紛々の折柄、伯耆守と共に子思ひの作左が心底も動かずやと、家中の噂にも上りしことあるべく、疚《やま》しからぬ腹を揣摩《しま》せられて、潔白を傷けんも口惜しと、さてこそ思へば待てぬ作左衛門、急に疑の種をば引き戻すに至りしなるべけれ。」
これは本多作左衛門と共に秀吉に雌伏する家康を論じた「鬼作左」の中の一節である。諸君は今もなほ大久保湖州を明治の才人の一人に数へる僕の蒙を笑殺するであらうか? 笑殺するとしないとは勿論諸君の随意である。唯僕は前に挙げた「伝記私言数則」の中に、「天|自《みづか》ら言はず、人をして言はしむ、されど人の声は、必ずしも天の声と一致せず、人の褒貶毀誉《ほうへんきよ》は、数々《しばしば》天の公裁と齟齬《そご》す。人世尤も憐むべきは、生前天の声を聞かずして死に入るものと為す。後人《こうじん》は彼が為めに、天に代り死後の知己たらざるべからず」の語を読んだ時、我々の忘れてゐた湖州の為に愴然の感を深うした。僕の文章は何であるにしろ、厳粛なる天の声などを代弁しないことは
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