ま》に暮したる事なき身故、何ぞの業を致度候得ども、それもいらぬ事故、念仏を日々の稽古事の様に致し候ゆへ、毎日朝起いたし[#「毎日朝起いたし」に傍点]、夜もはやくは休不申[#「夜もはやくは休不申」に傍点]、おこたらぬやうにこころ懸候事。夫故食事の中《あた》りもなく健にて、念仏の影と存候。』と言へるを看ても、裏面の行跡に大に放縦の振舞なかりしは察すべし。但し彼の秀吉すら「女に心|不[#レ]可[#レ]免《ゆるすべからず》」と戒めたれば、家康が清浄潔白の念仏談も、曾《かつ》て一時に数人の侍妾を設け置きし覚えある男の言と識るべし。人を殺しし罪ほろぼしの外に言ひ難き懺悔[#「言ひ難き懺悔」に傍点]の珠数をば繰らざりしにや。徒士《かち》の者奥の女中に文を送りしとて、徒士頭松平若狭守改易の罪に処せられきと伝ふれば、奥向の規律の厳正なりしを窺ふべし。亦窮屈なる規則の内にても、主人には之を潜りて融通の道ありしを忘るべからず。三河に在りし頃は特に何事も手軽[#「手軽」に傍点]なりしなるべし。家康年積みて処世の道に熟しては、(中略)
「おのれ常に老臣共の衆評を聴きて、一人に権を占めさせじと努めし跡は、歴々とし
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