もつと》も見まほしけれ。若し世に細君の自ら筆を染めて、細かに良人が日常の振舞を書き取れる日記と、金銀出納帳とだにあらば、之れに優る伝記の材料はなかるべし。
「世評に善くいはるる人も、実際はそれ程の大人物に非ず、悪くいはるる人も、亦それ程の悪人にあらず、古今皆|然《しか》り。個人の貫目《くわんめ》を量らんには、世評の封袋《ふうたい》を除くことを忘るべからず。
「智慧できて、気性の強くなりしものあり。弱りしものあり。
「成る可く労力を節約して成るべく多く成功するの工夫を運《めぐ》らすべし。さりとて相場師に為れと言ふには非ず。但《ただ》し人事なべて多少投機の性質を帯ぶるものと念《おも》ふべし。
「愚人を相手に得々然たること能はざる政治家は、輿論政治の世に政治家たる資格なきものと知るべし。」
男女とも尻つ尾さへぶら下げてゐなければ、一人前の人間だと考へるのは三千年来の誤謬《ごびう》である。一人前の人間となる為には、まづ脳髄と称へられる灰白色の塊にも一人前の皺襞《すうへき》を具へなければならぬ。この大久保湖州と云ふ書生は確かに孔雀や猿を脱した一人前の脳髄を所有してゐる。いや、一人前所ではないかも知れない。彼の文章は冷然とした中に不思議にも情熱を漲らせてゐる。天下にかう云ふ文章ほど、一人前以上の脳髄の所在を歴々と教へる指道標はない。のみならず――実価は五十銭である。僕は皺くちやになつた五十銭札を出し、青黒いクロオスの表紙のついた「家康と直弼」を買ふことにした。
買つた後に開いて見ると、巻頭には近衛公の題字を始め、重野成斎《しげのせいさい》、坪内逍遥、島田沼南《しまだせうなん》、徳富蘇峰、田口鼎軒《たぐちていけん》等の序文だの、水谷不倒の「大久保湖州君小伝」だの、明治趣味の顋髯を生やした著者の写真だのもはひつてゐる。無名の書生だと思つた湖州は思ひの外知己に富んでゐたらしい。が、現代に生れた我々の湖州を知らぬことも亦《また》事実である。すると諸名士の金玉の序文も「家康と直弼」を伝へることには失敗したと云はなければならぬ。これは読者たる僕の勇気を沮喪せしめるに足る発見である。才人だと思つた大久保湖州も或は大学の教授に多い、荘厳なる阿呆の一人だつたかも知れない。僕は夜長の電燈の下にかう云ふ疑惑を抱きながら、まづ彼の大作たる家康篇を読みはじめた。……
これはもう一昨年、――念の為に
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