白石の如く史を究めたらんには、其の史眼は必ず白石の上に出づべし。『南留別志《なるべし》』を一読して知るべし。頼山陽を歴史家と念ふは非なり。日本政記の論文にも、取るに足らざる浅薄の見多し。」
 次に興味を感じたのは半頁にも足りない史論である。
「大日本史の主旨は勤王に在りといふ。水戸黄門この書を思ひ立ちしは、伯夷伝《はくいでん》を読みて感ずる所ありてなりといふ。周の武王は時の強者なり。伯夷は時の強者を制し、名分を正さんとして用ゐられざりし男なり。黄門何とてさる支那の一不平党に同感して、勤王の精神を現せる国史を編まんとはしけるぞ。幕府は時の強者なり。之を制して名分を正さんとしけるにや。されど徳川は正に其の宗家《そうけ》なり。宗家の不利を顧みざりしにや。黄門は世に賢明の人なりと嘖々《さくさく》す。さる人にして、いかで朝廷重くなれば徳川軽くなるの理見えずやあるべき。是に於て黄門の真意は甚だ疑ふべし。不平党に同意せし胸中|穿鑿《せんさく》を要する所なり。時の将軍綱吉と黄門の不快なりしは、亦世に伝ふる所なり。得意なりしならんには、大日本史を編みしや否や、我れ識らず。美はしき表口上より、裏の辺見まほしくこそ。
「家康の朝廷に対する精神は、敬して遠ざくるに在りしなり。信長秀吉等は皆朝廷を担ぎて事を図りしかど、家康にはさる事なし。関ヶ原大坂の軍にも、朝旨を受けて、王師皇軍などいふ体を装はず。武家と武家との戦と做《な》して、朝廷の力を仮らず。是れ実に家康の深慮の存する所なり。徳川の末世に及びて、勤王を唱へし徒は、朝廷尊崇をもて東照宮の遺意なるが如く説きて、幕府を責めしかど、実を知らぬ者の迂説《うせつ》なりけり。朝廷に権力を持たせて、将軍政治の行はるると思ふは笑ふべし。流石《さすが》に新井白石は此の間の消息を解せしが如し。家康また至て公卿風を嫌ひし男なりけり。」
 しかし最も愉快だつたのは鮮かに著者自身の性格を示したやはり数行の感想である。
「人三十にして老人にも少年にも交はるを得べし。
「我れ酒を飲まざれど、人に酒を呑(原)せて語るは面白し。
「始めて人を訪へば、知らぬ顔して室内の模様を見届け置くべし。爾後《じご》訪ふ毎に室内の変化に注目せよ。やがて主人の口には掩《おほ》ひける性癖のをかしきふしを看出すべし。
「人物を知らんには、其の人の金のつかひやうと、妻に対する振舞との二つこそ尤《
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