もないのに違ひない。提燈《ちやうちん》は火さへともせれば、敬意を表して然るべきである。合羽《かつぱ》のやうに雨が凌《しの》げぬにしろ、軽蔑《けいべつ》して好《よ》いと云ふものではない。しかし雨が降つてゐるから、まづ提燈は持たずとも合羽の御厄介《ごやくかい》にならうと云ふのはもとより人情の自然である。かう云ふ人情の矢面《やおもて》には如何《いか》なる芸術至上主義も、提燈におしなさいと云ふ忠告と同様、利《き》き目のないものと覚悟せねばならぬ。我我は土砂降《どしやぶり》りの往来に似た人生を辿《たど》る人足《にんそく》である。けれどもロテイは我我に一枚の合羽をも与へなかつた。だから我我はロテイの上に「偉い」と云ふ言葉を加へないのである。古来偉い芸術家と云ふのは、――勿論《もちろん》合羽の施行《せぎやう》をする人に過ぎない。
 又ロテイはこの数年間、仏蘭西《フランス》文壇の「人物」だつたにせよ、仏蘭西文壇の「力」ではなかつた。だから彼の死も実際的には格別影響を及ぼさないであらう。唯我我日本人は前にもちよいと云つた通り、美しい日本の小説を書いた、当年の仏蘭西の海軍将校ジユリアン・ヴイオオの長逝《ち
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