品は可笑《をか》しいかも知れない。しかしその可笑しいところに、善《よ》く云へば阿蘭陀《オランダ》の花瓶《くわびん》に似た、悪く云へばサムラヒ商会の輸出品に似た一種のシヤルムがひそんでゐる。このシヤルムさへ認めないのは偏狭《へんけふ》の譏《そしり》を免《まぬか》れないであらう。予は野口米次郎《のぐちよねじらう》氏の如き、或は郡虎彦《こほりとらひこ》氏の如き、西洋に名を馳《は》せた日本人の作品も、その名を馳せた一半の理由はこのシヤルムにあつたことを信じてゐる。と云ふのは勿論両氏の作品に非難を加へようと云ふのではない。寛大な西洋人に迎へられたことを両氏の為に欣幸《きんかう》とし、偏狭《へんけふ》な日本人に却《しりぞ》けられたことをクロオデル大使の為に遺憾《ゐかん》とするのである。
仄聞《そくぶん》するところによれば、クロオデル大使はどう云ふ訣《わけ》か、西洋|輓近《ばんきん》の芸術に対する日本人の鑑賞力に疑惑を抱いてゐるさうである。まことに「女と影」の如きも、予などの批評を許さないかも知れない。しかし時の古今《ここん》を問はず、わが日本の芸術に対する西洋人の鑑賞力は――予は先夜|細川侯《ほ
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