轣Aコレラだ」と言つて、蚊帳を飛び出したさうである。蚊帳を飛び出して、どうするかと思ふと、何もすることがないものだから、まだ星が出てゐるのに庭を箒《はうき》で掃《は》き始めたさうである。勿論、先生の吐瀉《としや》したのは、豆と水とに祟《たた》られたので、コレラではなかつたが、この事があつたために、先生は人間の父たるもののエゴイズムを知つたと話してゐた。
 コレラの小説では何があるか。紅葉《こうえふ》の「青葡萄《あをぶだう》」とかいふのが、多分、コレラの話だつたらう。La Motte といふ人の短篇に、日本のコレラを書いたのがある。何も際立《きはだ》つた事件はないが、魚河岸《うをがし》の暇になつたり、何かするところをなかなか器用に書いてある。
 僕はコレラでは死にたくはない。へどを吐《は》いたり下痢《げり》をしたりする不風流な往生《わうじやう》は厭《い》やである。シヨウペンハウエルがコレラを恐《こは》がつて、逃げて歩いたことを読んだ時は、甚だ彼に同情した。ことに依ると、彼の哲学よりも、もつと、同情したかも知れない。
 しかし、シヨウペンハウエル時代には、まだコレラは食物から伝染《でんせん
前へ 次へ
全32ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング