ニ自の眼光を以て梅花を観《み》んと欲するものなり。聊《いささ》かパラドツクスを弄《ろう》すれば、梅花に冷淡なること甚しきが故に、梅花に熱中すること甚しきものなり。高青邱《かうせいきう》の詩に云ふ。「瓊姿只合在瑤台《けいしただまさにえうたいにあるべし》 誰向江辺処処栽《たれかかうへんしよしよにむかつてうう》」又云ふ。「自去何郎無好詠《からうさつてよりかうえいなし》 東風愁寂幾回開《とうふうしうせきいくくわいかひらく》」真に梅花は仙人の令嬢か、金持の隠居の囲《かこ》ひものに似たり。(後者は永井荷風《ながゐかふう》氏の比喩《ひゆ》なり。必《かならず》しも前者と矛盾《むじゆん》するものにあらず)予の文に至らずとせば、斯《かか》る美人に対する感慨を想《おも》へ。更に又汝の感慨にして唯ほれぼれとするのみなりとせば、已《や》んぬるかな、汝も流俗のみ、済度《さいど》す可からざる乾屎※[#「木+厥」、第3水準1−86−15]のみ。
十一 暗合
「お富《とみ》の貞操」と云ふ小説を書いた時、お富は某氏夫人ではないかと尋ねられた人が三人ある。又あの小説の中に村上新三郎《むらかみしんざぶらう》と云
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