燒セの人なり。豈《あに》彼等の道楽を彼等の芸術と混同せんや。予は常に確信す、大正の流俗、芸術を知らず、無邪気なる彼等の常談《じやうだん》を大真面目《おほまじめ》に随喜し渇仰《かつがう》するの時、まづ噴飯《ふんぱん》に堪へざるものは彼等両人に外《ほか》ならざるを。
 梅花は予の軽蔑する文人趣味を強ひんとするものなり、下劣詩魔《げれつしま》に魅《み》せしめんとするものなり。予は孑然《けつぜん》たる征旅の客《きやく》の深山|大沢《だいたく》を恐るるが如く、この梅花を恐れざる可からず。然れども思へ、征旅の客の踏破の快を想見するものも常に亦《また》深山大沢なることを。予は梅花を見る毎に、峨眉《がび》の雪を望める徐霞客《じよかかく》の如く、南極の星を仰げるシヤツクルトンの如く、鬱勃《うつぼつ》たる雄心をも禁ずること能《あた》はず。
[#天から3字下げ]灰捨てて白梅うるむ垣根かな
 加ふるに凡兆《ぼんてう》の予等の為に夙《つと》に津頭《しんとう》を教ふるものあり。予の渡江に急ならんとする、何ぞ少年の客気《かくき》のみならんや。
 予は独自の眼光を以て容易に梅花を観難《みがた》きが故に、愈《いよいよ》
前へ 次へ
全32ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング