、云ふ連中も頭に火でもついた日にや、やつぱり芸術的衝動を失うことになるだらうね?
 主人 さあ、さうとも限らないね。無意識の芸術的衝動だけは案外《あんぐわい》生死の瀬戸際《せとぎは》にも最後の飛躍をするものだからね? 辞世の歌で思ひ出したが、昔の侍の討死《うちじに》などは大抵《たいてい》戯曲的或は俳優的衝動の――つまり俗に云ふ芝居気《しばゐぎ》の表はれたものとも見られさうぢやないか?
 客 ぢや芸術的衝動はどう云ふ時にもあり得ると云ふんだね?
 主人 無意識の芸術的衝動はね。しかし意識した芸術的衝動はどうもあり得るとは思はれないね。現在頭に火がついてゐるのに、………
 客 それはもう前にも聞かされたよ。ぢや君も菊池寛《きくちくわん》氏に全然|賛成《さんせい》してゐるのかね?
 主人 あり得ないと云ふことだけはね。しかし菊池氏はあり得ないのを寂しいと云つてゐるのだらう? 僕は寂しいとも思はないね、当り前だとしか思はないね。
 客 なぜ?
 主人 なぜも何もありやしないさ。命あつての物種《ものだね》と云ふ時にや、何も彼《か》も忘れてゐるんだからね。芸術も勿論《もちろん》忘れる筈ぢやないか?
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