オうしふへき》と云ふものを持つたことはない。もし持つたことがあるとすれば、年少時代に昆虫類の標本《へうほん》を集めたこと位であらう。現在は成程《なるほど》書物だけは幾らか集まつてゐるかも知れない。しかしそれも集まつたのである。落葉の風だまりへ集まるやうに自然と書棚《しよだな》へ集まつたのである。何も苦心して集めた訣《わけ》ではない。
 書物さへ既《すで》にさうである。況《いはん》や書画とか骨董《こつとう》とかは一度も集めたいと思つたことはない。尤《もつと》もこれはと思つたにしろ、到底《たうてい》我我売文の徒には手の出ぬせゐでもありさうである。しかし僕の集めたがらぬのは必《かならず》しもその為ばかりではない。寧《むし》ろ集めたいと云ふ気持に余り快哉《くわいさい》を感ぜぬのである。或は集めんとする気組みに倦怠《けんたい》を感じてしまふのである。
 これは智識も同じことである。僕はまだ如何《いか》なる智識も集めようと思つて集めたことはない。尤《もつと》も集めたと思はれるほど、智識のないことも事実である。しかし多少でもあるとすれば、兎《と》に角《かく》集まつたと云はなければならぬ。
 蒐集家《
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