烽フは気違ひの会話に似てゐるなあ。この辺《へん》そろそろ上《のぼ》り坂。もうあの家の椿などは落ちて茶色に変つてゐる。尤《もつと》も崖側《がけぎは》の竹藪は不相変《あひかはらず》黄ばんだままなのだが……おつと向うから馬が来たぞ。馬の目玉は大きいなあ。竹藪も椿も己《おれ》の顔もみんな目玉の中に映《うつ》つてゐる。馬のあとからはモンシロ蝶。
「生ミタテ玉子《タマゴ》アリマス。」
アア、サウデスカ? ワタシハ玉子ハ入《イ》リマセン。――春の日のさした往来をぶらぶら一人歩いてゐる。
六 霜夜
霜夜《しもよ》の記憶の一つ。
いつものやうに机に向つてゐると、いつか十二時を打つ音がする。十二時には必ず寝ることにしてゐる。今夜もまづ本を閉じ、それからあした坐り次第、直《すぐ》に仕事にかかれるやうに机の上を片づける。片づけると云つても大したことはない。原稿用紙と入用《いりよう》の書物とを一まとめに重ねるばかりである。最後に火鉢の火の始末《しまつ》をする。はんねら[#「はんねら」に傍点]の瓶《かめ》に鉄瓶《てつびん》の湯をつぎ、その中へ火を一つづつ入れる。火は見る見る黒くなる。炭の鳴る音
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