アとを確信してゐた。彼のジヤアナリズムに威力のあつたのはかう云ふ確信のあつた為である。従つて彼は又|最期《さいご》の審判の、――即ち彼のジヤアナリズムの勝ち誇ることも確信してゐた。尤《もつと》もかう云ふ確信も時々は動かずにゐなかつたであらう。しかし大体はこの確信のもとに自由に彼のジヤアナリズムを公けにした。「一人の外に善者《よきもの》はなし、即ち神なり」――それは彼の心の中を正直に語つたものだつたであらう。しかしクリストは彼自身も「善き者」でないことを知りながら、詩的正義の為に戦ひつづけた。この確信は事実となつたものの、勿論彼の虚栄心である。クリストも亦あらゆるクリストたちのやうにいつも未来を夢みてゐた超阿呆の一人だつた。若し超人と云ふ言葉に対して超阿呆と云ふ言葉を造るとすれば。……

     10[#「10」は縦中横] ヨハネの言葉

「世の罪を負ふ神の仔羊を観《み》よ。我に後《おく》れ来らん者は我よりも優《まさ》れる者なり。」――バプテズマのヨハネはクリストを見、彼のまはりにゐた人々にかう話したと伝へられてゐる。壁の上にストリントベリイの肖像を掲げ、「ここにわたしよりも優れたもの
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