ノ稀《まれ》ではない。クリストの父母は彼を見つけ、「さんざんお前を探してゐた」と言つた。すると彼は存外平気に「どうしてわたしを尋ねるのです。わたしはわたしのお父さんのことを務めなければなりません」と答へた。「されど両親は其語れる事を暁《さと》らず」と云ふのも恐らくは事実に近かつたであらう。けれども我々を動かすのは「其母これらの凡《すべて》の事を心に蔵《と》めぬ」と云ふ一節である。美しいマリアはクリストの聖霊の子供であることを承知してゐた。この時のマリアの心もちはいぢらしいと共に哀れである。マリアはクリストの言葉の為にヨセフに恥ぢなければならなかつたであらう。それから彼女自身の過去も考へなければならなかつたであらう。最後に――或は人気のない夜中に突然彼女を驚かした聖霊の姿も思ひ出したかも知れない。「人の皆無、仕事は全部」と云ふフロオベルの気もちは幼いクリストの中にも漲《みなぎ》つてゐる。しかし大工の妻だつたマリアはこの時も薄暗い「涙の谷」に向かひ合はなければならなかつたであらう。

     9 クリストの確信

 クリストは彼のジヤアナリズムのいつか大勢の読者の為に持て囃《はや》される
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