ていない。むしろ何か義務に対する諦《あき》らめに似たものに充たされている。彼もあらゆる男性のように三重子に倦怠《けんたい》を感じ出したのであろうか? けれども捲怠を生ずるためには同一のものに面しなければならぬ。今日の三重子は幸か不幸か全然|昨日《きのう》の三重子ではない。昨日の三重子は、――山手《やまのて》線の電車の中に彼と目礼だけ交換《こうかん》した三重子はいかにもしとやかな女学生だった。いや、最初に彼と一しょに井《い》の頭《かしら》公園へ出かけた三重子もまだどこかもの優《やさ》しい寂しさを帯びていたものである。……
 中村はもう一度腕時計を眺めた。腕時計は二時五分過ぎである。彼はちょっとためらった後《のち》、隣り合った鳥類《ちょうるい》の標本室へはいった。カナリヤ、錦鶏鳥《きんけいちょう》、蜂雀《はちすずめ》、――美しい大小の剥製《はくせい》の鳥は硝子越《ガラスご》しに彼を眺めている。三重子もこう言う鳥のように形骸《けいがい》だけを残したまま、魂《たましい》の美しさを失ってしまった。彼ははっきり覚えている。三重子はこの前会った時にはチュウイン・ガムばかりしゃぶっていた。そのまた前に
前へ 次へ
全9ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング