早春
芥川龍之介

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)浅草《あさくさ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一時|正気《しょうき》を失った

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](大正十四年一月)
−−

 大学生の中村《なかむら》は薄《うす》い春のオヴァ・コオトの下に彼自身の体温を感じながら、仄暗《ほのぐら》い石の階段を博物館の二階へ登っていった。階段を登りつめた左にあるのは爬虫類《はちゅうるい》の標本室《ひょうほんしつ》である。中村はそこへはいる前に、ちょっと金の腕時計を眺めた。腕時計の針は幸いにもまだ二時になっていない。存外《ぞんがい》遅れずにすんだものだ、――中村はこう思ううちにも、ほっとすると言うよりは損をした気もちに近いものを感じた。
 爬虫類の標本室はひっそりしている。看守《かんしゅ》さえ今日《きょう》は歩いていない。その中にただ薄ら寒い防虫剤《ぼうちゅうざい》の臭《にお》いばかり漂《ただよ》っている。中村は室内を見渡した後《のち》、深呼吸をするように体を伸ばした。それから大きい硝子戸
次へ
全9ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング