はまだ一度も、そんな悪戯《いたずら》はしていません。が、そう云う信仰の中《うち》にも、この国に住んでいる我々の力は、朧《おぼろ》げながら感じられる筈です。あなたはそう思いませんか?」
 オルガンティノは茫然と、老人の顔を眺め返した。この国の歴史に疎《うと》い彼には、折角《せっかく》の相手の雄弁も、半分はわからずにしまったのだった。
「支那の哲人たちの後《のち》に来たのは、印度《インド》の王子|悉達多《したあるた》です。――」
 老人は言葉を続けながら、径《みち》ばたの薔薇《ばら》の花をむしると、嬉しそうにその匂を嗅《か》いだ。が、薔薇はむしられた跡にも、ちゃんとその花が残っていた。ただ老人の手にある花は色や形は同じに見えても、どこか霧のように煙っていた。
「仏陀《ぶっだ》の運命も同様です。が、こんな事を一々御話しするのは、御退屈を増すだけかも知れません。ただ気をつけて頂きたいのは、本地垂跡《ほんじすいじゃく》の教の事です。あの教はこの国の土人に、大日※[#「靈」の「巫」に代えて「女」、第3水準1−47−53]貴《おおひるめむち》は大日如来《だいにちにょらい》と同じものだと思わせました。
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