にも、呉《ご》の国の絹だの秦《しん》の国の玉だの、いろいろな物を持って来ました。いや、そう云う宝よりも尊い、霊妙《れいみょう》な文字さえ持って来たのです。が、支那はそのために、我々を征服出来たでしょうか? たとえば文字《もじ》を御覧なさい。文字は我々を征服する代りに、我々のために征服されました。私が昔知っていた土人に、柿《かき》の本《もと》の人麻呂《ひとまろ》と云う詩人があります。その男の作った七夕《たなばた》の歌は、今でもこの国に残っていますが、あれを読んで御覧なさい。牽牛織女《けんぎゅうしょくじょ》はあの中に見出す事は出来ません。あそこに歌われた恋人同士は飽《あ》くまでも彦星《ひこぼし》と棚機津女《たなばたつめ》とです。彼等の枕に響いたのは、ちょうどこの国の川のように、清い天《あま》の川《がわ》の瀬音《せおと》でした。支那の黄河《こうが》や揚子江《ようすこう》に似た、銀河《ぎんが》の浪音ではなかったのです。しかし私は歌の事より、文字の事を話さなければなりません。人麻呂はあの歌を記すために、支那の文字を使いました。が、それは意味のためより、発音のための文字だったのです。舟《しゅう》と
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