師の心から、一切の日光と空気とを遮断して、しまいには、人並に生きてゆこうと云う気さえ、未練|未釈《みしゃく》なく枯らしてしまう。何故生きてゆくのは苦しいか、何故、苦しくとも、生きて行かなければならないか。勿論、李は一度もそう云う問題を考えて見た事がない。が、その苦しみを、不当だとは、思っている。そうして、その苦しみを与えるものを――それが何だか、李にはわからないが――無意識ながら憎んでいる。事によると、李が何にでも持っている、漠然とした反抗的な心もちは、この無意識の憎しみが、原因になっているのかも知れない。
 しかし、そうは云うものの、李も、すべての東洋人のように、運命の前には、比較的屈従を意としていない。風雪《ふうせつ》の一日を、客舎《はたご》の一室で、暮らす時に、彼は、よく空腹をかかえながら、五匹の鼠に向って、こんな事を云った。「辛抱《しんぼう》しろよ。己《おれ》だって、腹がへるのや、寒いのを辛抱しているのだからな。どうせ生きているからには、苦しいのはあたり前だと思え。それも、鼠よりは、いくら人間の方が、苦しいか知れないぞ………」

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 雪曇りの空が、いつの
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