をまぎらせながら、いつもなら慌しい日の暮を、待ちかねるようにして、暮してしまう。鼠の数《すう》は、皆で、五匹で、それに李の父の名と母の名と妻の名と、それから行方《ゆくえ》の知れない二人の子の名とがつけてある。それが、嚢《ふくろ》の口から順々に這い出して火の気のない部屋の中を、寒そうにおずおず歩いたり、履《くつ》の先から膝の上へ、あぶない軽業《かるわざ》をして這い上りながら、南豆玉《なんきんだま》のような黒い眼で、じっと、主人の顔を見つめたりすると、世故《せこ》のつらさに馴れている李小二でも、さすがに時々は涙が出る。が、それは、文字通り時々で、どちらかと云えば、明日《あす》の暮しを考える屈託《くったく》と、そう云う屈託を抑圧しようとする、あてどのない不愉快な感情とに心を奪われて、いじらしい鼠の姿も眼にはいらない事が多い。
その上、この頃は、年の加減と、体の具合が悪いのとで、余計、商売に身が入らない。節廻しの長い所を唱うと、息が切れる。喉も昔のようには、冴《さ》えなくなった。この分では、いつ、どんな事が起らないとも限らない。――こう云う不安は、丁度、北支那の冬のように、このみじめな見世物
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